院長あいさつ

医療法人仁心会福山病院が建っているここ福山町大廻地区は、金波銀波の輝きを見せてくれる錦江湾の奥深くに位置しており、正面南の方を望めば洋上はるかに雄大な桜島が噴煙をあげ、背後には緑深く自然の恵みを与えてくれる山野が連なり、四季を通じて気温温暖風光明媚な環境の中にあります。
昭和25年福山病院の初代開設者である松下兼知が、長崎医大の精神科の助教授時代に爆心地長崎で原爆に遭い、九死に一生を得て、ここに郷土福山の地で開業したのが始まりであります。
戦後の精神障害者の為、各地をいろいろ回り、そこに悲惨な知恵遅れの子供たちが放置されているのをみかねて、昭和31年、福山病院に隣接して精神薄弱児施設福山学園(現在・精神薄弱更生施設福山学園)を設立。

また当時、児童福祉法法制化により漸次多様な福祉施設の整備が進められてきたが、昭和30年までは、行政政策も十分でなく肢体的障害、精神的障害が重複し、かつ重度の重症心身障害児優先して施設入所措置を必要とするにもかかわらず、既存の施設入所を願望しても、両面の障害があるために無理であるとの理由付けで拒否されていた実情でありました。
その当時松下兼知も重症児対策に共感奔走し、重症児施設法制化に先立つこと、昭和41年全国でも6番目に重症心身障害児施設オレンジ学園を福山病院に隣接して設立しました。

医院長 松下兼宗

院長
松下兼宗

他方、開設者である松下兼知は、本来幼少児より、絵に対する興味が非常に強く、長崎医大時代も児島善三郎に絵を習い、いろいろ、日本や外国をまわる時、矢立てを持ってはスケッチをしておりました。
その後この興味は絵画にとどまらず、出土品にも広がり、ヨーロッパを旅行しているとき、田舎にもすばらしい美術館があることに感銘し、昭和58年に財団法人松下美術館を設立しました。また時代の流れとともに、高齢化の当来のため、福山の里デイサービスセンターをはじめ、痴呆老人の増加のため、痴呆性疾患療養病棟を併設するにいたっております。
このように、ここに仁心会福山病院の位置するところには、精神薄弱更生施設福山学園、重度心身障害児施設オレンジ学園、財団法人松下美術館が混在し、その他松下児童会館、児童遊園地らもあり、まさに、病院、福祉施設、美術館らがうまくとけこみ、全国でも珍しい形態を有しているといえます。

そのために町も早くより“重症心身障害児愛護の町”の宣言をしており町全体が、福祉に理解を示している環境にあります。 そのような中での医療法人仁心会福山病院は、精神科を中心に内科、神経科があり、隣接する精神薄弱者の施設や重症心身障害児の施設との連携を保ちつつ、地域の環境から、老人の外来も多い状態です。

わが福山病院は、そのような環境のため、精神障害と老人が中心となった医療であり、そのような特性から、身体面だけでなく、心理、社会面をも含めた総合的な医療が特に必然的に要求されております。

他方、リエゾン精神医学は、わが福山病院にとっては、重要な役割を占めておりその為に特に診断にあたっては、器質的疾患の存在や精神疾患で、身体症状を呈する症例は非常に多く見られ、また、社会的入院、保護をも必要とする患者さんも多く、心理、社会的因子の把握には特に注意が払われております。

老人疾患の人も年々増加し、終末医療を迎える老人も多くなり、その人の身体面、精神面、また、社会、経済その人の宗教感、それらをとりまく家族への対応等、医師として、また宗教人として対応も要求され、まさに全人的医療が要求されております。
近郊の福山病院と関連ある医療法人仁心会松下病院(院長:吉牟田直孝先生)は、心身症の教育機関の指定をうけており、連携を保ちつつ治療に当たっているのが現状であります。

医院長 松下兼宗

院長
松下兼宗

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